3Dプリンター入門:会員限定
テーマ:学問
マイスターネット理科教室では、第一弾の志柿さんによる『地球大進化』に続き、第二弾として大久保さんによる『3Dプリンター入門』を準備中です。しばらくは、マイスターネット会員限定での試行ですので、不明点・改善点等ございましたら積極的にご意見を下さい。下図は講師による作品例です。
『講座の名称』:Tinkercad で始める3Dプリンター入門(案)
『目的』 受講者のパソコンを使いAutodesk 社のWeb プラットフォーム上で使える無料ソフト、Tinkercadを使い立体図作りを一から学び、完成した自作作品を、3Dプリンターを使いプリントする、立体模型を作るまでの講座です。
プリンターは講座で用意するダヴィンチ製3Dプリンターを使います。
With Corona の時代なので、在宅受講が主体で、不明な点もQ&Aや指導者とNet でのやり取りで解決できます。またNETに多数UPされている解説動画のURLをQ&Aで紹介、参考にしてもらう。
『募集対象者』:PCの操作でき、Autocadの初心者、max10名?
『必要なPCと通信環境』:GoogleWeb プラザが使えるPCであれば良い。
『講座で使用する教材』:
『参加費用』;3Dプリントをする場所代と材料費の費用が当面考えられますが
要検討です。
『講師紹介』:私と3Dプリンターとの出会いはdeagostini社が2015年出版したプリンタパーツ付き雑誌を購読、プリンターを、自作しながらソフトを学んだのが最初で、以後ダヴィンチ社の3Ðプリンターに乗換え、NETで出回ってるFree Sofutoをプリントしては楽しんでます。The EndeaVour 英国の探検家ジェームス・クック船長の船です。
カリキュラム:毎月課題作品仕上げプリントする
課題作品:さいころ、雪だるま、テーブルコスター、物入、スマホケース、
花かご等
講座開設:2001年1月?
多様化のすゝめ
テーマ:学問
権威がある人の言動を信じるのは当然だが、これだけと堅実過ぎて狭量になる危険がある(Ⅰ:堅実狭量)。更に、権威がある人でも間違いはあるので盲目的に信じるとえらい目にある(Ⅱ:権威盲信)。
一方、権威が無い人の言動は、多くの場合信じるに足りないことが多い。しかし、権威は無くても優れた言動があれば、権威の有無に捉われることなくリスクを冒してでも取入れなければならない(Ⅳ:学問の大衆化)。
社会変化が著しい現代では、専門領域の栄枯盛衰が激しく既存の領域に留まる権威者の価値は低下し、代わりにそれまで権威の無かった人々が新しい領域で新しい価値を創造する多様化の機運が生まれてきた。そこで、権威の有無にかかわらず物事の価値を正当に評価することが求められる。即ち、Ⅱ:権威盲信を避け、Ⅳ:学問の大衆化を促すことがますます求められる。すそれには、慧眼(けいがん:物事の本質や裏面を見抜く、すぐれた眼力)力を身につける必要がある。「学問の大衆化」が必要となる所以である。
オー・ヘンリーは、横領罪で服役したことがあるが、彼の作品は多くの人々に親しまれている。彼に限らず、いわゆる臭い飯を食った人の言動には、ときとして無視できない価値があることもあるようだ。
危機意識の欠如
テーマ:学問
現代日本社会の課題の一つは、危機意識がないことである。
その原因として考えられることは、国民の多くが危機に直面しているという事実を知らない からではなく、 知識としては知っていてもそれを我がこととして認識することなく他人事と捉えているからではないか。では、どうしてこのようなことが起こるのだろうか?それは、国民の多くが社会を背負うという意識を持っていないからではないか。 この意識がなければ、 たとえ知識として知っても、それは他人ごとでしかなく、自分には関係ないとなれば馬耳東風、いくら危機だと警鐘を鳴らし知識を与えたとしても何の効果も得られまいこのような場合は、どうしたら良いのであろうか。
註:「社会を背負う人と社会にぶら下がる人」という考えは、網さんの「内包的自分と外包的自分」と同じ意味である。
歴史を振り返ると、黒船が来航した時代は、欧米の圧倒的な力によりアジアの諸国は植民地化され、日本も植民地化される危機の時代であった。このとき、識者は国民に対して どうアピールしたのだろうか?
福沢諭吉著『学問のすゝめ』を参考に考える。
福沢は、国民に対して欧米に植民地化される危機を訴えるのではなく、多くの国民が士農工商の身分制度で苦しめられた事実に着目し、学問をすれば誰でも金持ちになり、偉くなれる、と学問を勧め身分制度による理不尽からの解放を訴える道を選んだ。
ここでもし、我が国が植民地化されるという危機を訴え、たとえそれが理解されたとしても、ではどうしたらよいかその方策を多くの国民が持たなければ迷うばかりで解決にはならない。 ところが士農工商から解放されたいという願望(欲求)に対し、誰でも学問をすれば身分に関係なく願いは叶えられるという方向性を示したこと(動機付け)により、多くの国民は希望を見出し、奮起し日本の近代化の力になったのである。見方を変えると、他人事として受け取られがちな国の危機を訴えるのではなく、士農工商から解放されるという自分事のメリットを強調することにより多くの賛同者を得た。そこが彼の偉大と言うか恐ろしいところである。
このことを、 アブラハム・マズローの欲求5段階説と対比する。
アブラハム・マズローは欲求を5段階に分け、低位の欲求が満たされるに従って高位の欲求が現れるとした。 下図参照
学問をすれば金持ちになり、偉くなれると、と言うのは、低位の欲求(生理的欲求、安全・安心欲求、社会的参加欲求、自我・自尊)までしか満たし難い。
では、学問のすゝめは高位の欲求(自己実現)を満たすところまでは目指さないのであろうか。この点について、福沢は「物質的独立・精神的独立(p.194)」の重要性を指摘しこれに応えている。
即ち、家業に励んで財産を持ち 他人の世話に ならない 物質的独立を果たさなければならないp194が、逆にその財産に支配されて独立の精神を失ってはいけないp197と精神的独立の重要を説く。
そのためには 、心事が高尚でなければならないp 200。世間的な栄誉は求めないことは賞揚すべきp209(分相応の栄誉・人望を求めることは大事p210)。
ところが、心事が高尚 でも行動が伴わない人は 不平不満が 多く人に嫌われ孤立するpp202-204。行動を起こすことは重要であり、それは決して安易なことではない。なぜなら、心に思う分には制限が無く自由であるが、実践するには制限が伴なうpp198-199 )からである。
では、どうしたら良いか。一身に備わった働きを、自分のためにも社会のためにも十分発揮するには、3つの条件がある(福澤、pp212-219)。
1. プレゼンテーション力
自分の考えを的確に表現する
2. 相手に良い印象を与える表情・容貌
広く交際して他者を知り、自分を知ってもらう。
3.旧友を忘れず、新しい友を求める
新しいことに取組むには、旧友ばかりではなく新しい友から学び自分の盲点に気づかさせてもらうことは有効である(ジョハリの窓の「盲点の窓」)。
以上述べた精神的独立がマズローの自己実現に相当するとすれば、福沢は5つの欲求すべてにつき欲求満足のための動機づけを示したことになる、と考える。
士農工商の身分制度が崩壊した今、令和の国民の欲求とは何か、そしてそれはいかにすれば満足させることが出来るのであろうか???
多様化のすゝめ
テーマ:学問
現代日本社会の課題の一つは、危機意識がないことである。
その原因として考えられることは、国民の多くが危機に直面しているという事実を知らない からではなく、 知識としては知っていてもそれを我がこととして認識することなく他人事と捉えているからではないか。では、どうしてこのようなことが起こるのだろうか?それは、国民の多くが社会を背負うという意識を持っていないからではないか。 この意識がなければ、 たとえ知識として知っても、それは他人ごとでしかなく、自分には関係ないとなれば馬耳東風、いくら危機だと警鐘を鳴らし知識を与えたとしても何の効果も得られまいこのような場合は、どうしたら良いのであろうか。
註:「社会を背負う人と社会にぶら下がる人」という考えは、網さんの「内包的自分と外包的自分」と同じ意味である。
歴史を振り返ると、黒船が来航した時代は、欧米の圧倒的な力によりアジアの諸国は植民地化され、日本も植民地化される危機の時代であった。このとき、識者は国民に対して どうアピールしたのだろうか?
福沢諭吉著『学問のすゝめ』を参考に考える。
福沢は、国民に対して欧米に植民地化される危機を訴えるのではなく、多くの国民が士農工商の身分制度で苦しめられた事実に着目し、学問をすれば誰でも金持ちになり、偉くなれる、と学問を勧め身分制度による理不尽からの解放を訴える道を選んだ。
ここでもし、我が国が植民地化されるという危機を訴え、たとえそれが理解されたとしても、ではどうしたらよいかその方策を多くの国民が持たなければ迷うばかりで解決にはならない。 ところが士農工商から解放されたいという願望(欲求)に対し、誰でも学問をすれば身分に関係なく願いは叶えられるという方向性を示したこと(動機付け)により、多くの国民は希望を見出し、奮起し日本の近代化の力になったのである。見方を変えると、他人事として受け取られがちな国の危機を訴えるのではなく、士農工商から解放されるという自分事のメリットを強調することにより多くの賛同者を得た。そこが彼の偉大と言うか恐ろしいところである。
このことを、 アブラハム・マズローの欲求5段階説と対比する。
アブラハム・マズローは欲求を5段階に分け、低位の欲求が満たされるに従って高位の欲求が現れるとした。 下図参照
学問をすれば金持ちになり、偉くなれると、と言うのは、低位の欲求(生理的欲求、安全・安心欲求、社会的参加欲求、自我・自尊)までしか満たし難い。
では、学問のすゝめは高位の欲求(自己実現)を満たすところまでは目指さないのであろうか。この点について、福沢は「物質的独立・精神的独立(p.194)」の重要性を指摘しこれに応えている。
即ち、家業に励んで財産を持ち 他人の世話に ならない 物質的独立を果たさなければならないp194が、逆にその財産に支配されて独立の精神を失ってはいけないp197と精神的独立の重要を説く。
そのためには 、心事が高尚でなければならないp 200。世間的な栄誉は求めないことは賞揚すべきp209(分相応の栄誉・人望を求めることは大事p210)。
ところが、心事が高尚 でも行動が伴わない人は 不平不満が 多く人に嫌われ孤立するpp202-204。行動を起こすことは重要であり、それは決して安易なことではない。なぜなら、心に思う分には制限が無く自由であるが、実践するには制限が伴なうpp198-199 )からである。
では、どうしたら良いか。一身に備わった働きを、自分のためにも社会のためにも十分発揮するには、3つの条件がある(福澤、pp212-219)。
1. プレゼンテーション力
自分の考えを的確に表現する
2. 相手に良い印象を与える表情・容貌
広く交際して他者を知り、自分を知ってもらう。
3.旧友を忘れず、新しい友を求める
新しいことに取組むには、旧友ばかりではなく新しい友から学び自分の盲点に気づかさせてもらうことは有効である(ジョハリの窓の「盲点の窓」)。
以上述べた精神的独立がマズローの自己実現に相当するとすれば、福沢は5つの欲求すべてにつき欲求満足のための動機づけを示したことになる、と考える。
士農工商の身分制度が崩壊した今、令和の国民の欲求とは何か、そしてそれはいかにすれば満足させることが出来るのであろうか???