正しい道を進もうとすれば、争いを避けることは絶対にできない 渋沢栄一『論語と算盤』

渋沢栄一は決して争うことを避けよ、とは言っていない。 

 

 正しい道を進もうとすれば、争いを避けることは絶対にできない。 もし避けて渡ろうとすると、善が悪に負けてしまい正義が行われないことになる。 これだけは絶対に譲れない、というところがあってほしい(pp 55-56)。

 

ところが、一見正しい理論を示され、言葉巧みに反対方向に誘導されることがあるので、頭を冷静に保って自分を見失わないようにする、「意志の鍛錬」が重要である(p. 81)。

 

 

 

この渋沢栄一の主張を、現代の日本国憲法の前文と見比べて見よう。

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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。


われらは、において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

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これが意味するところは、「平和を愛する諸国民」、および「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に従うことにより、我が国は「安全と生存」、および「名誉ある地位」を得よう、との意思表示である。主体は、諸国民、国際社会であり、決して我が国とは読み取れない、善良なる彼らに従うことをもって我々の務めとする、従者の立場である。

 

これは、渋沢が重視する正義のためには争いも辞さず、との教えと真逆である。言葉巧みに反対方向に誘導されないよう、頭を冷静に保って自分を見失わないようにする、「意志の鍛錬」が今求められている、と言えそうだ。