脱「論語読みの論語知らず」:知識習得の階梯

論語読みの論語知らず

知識習得に熱心な人の中には、読んだり聞いたりすることが好きで、表面的な理解で終わり何も生活に生かすことが出来ない、いわゆる「論語読みの論語知らず」がいることは残念なことである。ではどうしたらよいか。

 

他人知

まず、知識は、読書あるいは講演など他人から見聞きして入手する、他人様の 知識です(他人知)。この中には抽象的で分かりにくいもの(抽象知)は、事例を用いて解説すると理解が深まることがある(具体知)。ただし、このように知っただけでは、 自分の血肉になっているわけではない。

 

自分知

よく 咀嚼して自分自身の言葉で説明できるように理解が深まり、自分の血肉になるとやっと自分のものとなる(自分知)。ただしこれだけで良いわけではない、 単なる物知りに過ぎないからである。 これを福澤諭吉は『学問のすすめ』で、 「飯を食う字引」と言い戒めた。

 

行動知

次に、知ったからにはその知識をもとに 自分の行動に反映されなければ意味がありません。このように自分の行動を律するまでに知識を深めなければなりません(行動知)。

 

経験知

でも、行動しっぱなしで反省がなければ次への展開が望めません。 学んだことと実際やってみたことの違いをよく整理することが必要です(経験知)。

 

このように他人知から始まり経験知まで終えて初めて、知識は自分の血となり肉となるのです。

 

関心知

それでは、 最初の他人知はどうしたら得えられるのでしょうか。それにはまず関心を持つことが必要です。関心がなければ本を読んだり、講演を聞くきっかけにならないからです。このように知りたいと思わせる、関心を持たせる知識(関心知:CMや人の紹介等)が必要で、これが知識習得の呼び水になるわけです。